情報イナフの時代

今年の正月、ミュージシャンである小沢健二さんの東大講義をwebで観た。その中で「情報イナフ」という言葉を、野球観戦の昔と今を例に説明されていた。「そうそう、これ日頃から感じていることをうまく言ってくれているな」と大きく頷いた。
この手の話はインターネットやスマートフォンの発展とともによく言われてきていることだが、この野球観戦の例が直観的に心に響いた。昔の野球観戦を見たときの心の安らぎがすごかったのだ。この心の安らぎを例えるなら、日本の新宿駅周辺と、フィンランドのラップランド地方の冬の景色の違いとでも言うべきか。新宿駅周辺は店の看板・広告・人混み・雑音など。一方、フィンランドのラップランド地方の冬の景色は、白樺・雪・犬ぞり。多くの情報に晒されると人は情報を取らないといけないと思って焦ってしまうのか。過度の情報量は人にストレスを与えてしまうのか。
自分が安らいでいられる適度な情報量ってものがありそうな気もするけれど、放っておくとどんどん情報をとってしまうこの時代。「情報イナフ」であることを意識するだけでも日々の生活に安らぎが増えるのか。

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