生きるとはトランプで例えるなら配られたカードで勝負することだ。自分が持っていないカードはどんなに望んでも使えない。手持ちのカードという、制約条件でありまた自分の特長でもあるものをいかに認識し、意義を持って使っていくか(生きていくか)である。
これと同じような趣旨のことを、首相経験者である米内光政さんはこう言っている。
「鎮海に二年、佐世保に一年、横須賀に一年というように、官舎でやもめ暮らしをしている間に、読書の癖がついた。特に鎮海要港部司令官という閑職時代には、書物を読むのがなにより楽しみであった。そして、いま海軍大臣という大事な仕事をするのに、それが非常に役立っているように思われる。人間というものは、いついかなる場合でも、自分のめぐりあった境遇を、最も意義あらしめることが大切である※1」
また、この題材を少し拡大解釈して捉えてみた時、例えば、お店で買ってきた総菜をプラスチックのケースのまま食べるのではなしに、器に盛りつけて食べるなど、日々の小さな生活の中でも言えることだと自分は思っている。
つまるところ、その時々の意義を高め、生活や人生の品質を上げていくことだ。
ただ、あまりに意識が高すぎると効率だとかを求め過ぎることにもなり、かえって人生をつまらなくしてしまう点は注意が必要ではあるが。
人生や世の中を分かった気になることは非常に危険なことだが、自分に与えられたもの(≒配られたカード)でどんな勝負ができるかを深く考え、そして動いていくことは生活を人生を豊かなものにすると思う。
※1 出典:「米内光政正伝」 – 実松譲 -(光人社)